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noskeくんと日本人論のおはなし(後編)
(前編→ http://yohaku.biz/mmgwp/?p=89)
__先週から引き続き、オーストラリアで日本人論を研究しているnoskeくんとお話をしていきたいと思います。
後編は、最近興味のある事例やテーマから始めようと思うんですが、前編のはじめに「マスコミの一斉話題転換」を挙げてくれたけど、具体的にどう見てますか?__
世界金融危機から豚インフルエンザへの話題転換ですね。
「あれれ? 先週までBBCではメインニュースは金融危機で、いきなり豚インフルエンザ?」みたいな。
ニュースって、やっぱり視聴者は受動的になりがちだと思うんです。受動的っていうのは、メディアの情報を真に受けるって意味よりも、メディアが発信する情報が人々の日常の話題の基準になるって意味です。
いったん頭の中で「?」マークが出ても、同じ種類の情報を一日に何度も聞き続けるとそれが「基準」になる。やがて視聴者が疑問を持たない状態になってしまうケースがあるかなと。
世界金融危機も、豚インフルエンザも、本来は同じ比重で注視しなければいけない大きな課題なので、これから金融危機のニュースがどのように報じられて、マスコミでどのように位置づけられるのか……。
__確かに金融危機も「どうやらそういうことになっているらしい」という変な納得感と共通認識じみたものは浸透している気がします。
「もうそれ新しくないよね」みたいな。かといって重要度が下がるわけじゃない。基準になってしまったものを、どう報道するかってあまり考えたことがなかったかも。__
そうですよね。自覚的に行うのはすごく難しいと思います。
しかし、ひとつちょっと可能性を考えたいです。
たとえば、私は筑紫哲也さんがご存命のころの NEWS23 の中で一時期やっていた「あれから○○日」というコーナーが好きでした。ニュースという常に新しさと衝撃さが求められるなかで、過去を振り返る面白い試みだったと思います。
とくに、何十年も前の歴史ではなくて、2,3ヶ月前のニュースに戻って現在を考えるのは、他のどこもやっていなかったことです。それはマスメディア、とくにニュース番組として、ある種、勇気のいることだと思います。
なぜなら自分達が過去に報道した内容から、社会状況の変化と共に、視点や意見を修正せざるを得ないかもしれない。
さらに、テレビは視聴者に視覚・聴覚的な「イメージ」を提供する機能を持っています。私はテレビやラジオを見聞きするとき、不特定の視聴者へと送られるイメージと「自分のイメージ」のズレを意識的に確認しようとします。
その「ズレ」が、あるニュースを見ていて感じる「え、なんで?」の「?」マークです。この「?」が基準を再考する余地を備えているのではないかと。
なので先の話題転換など、ちょっと「いいのかなぁ……これで」と思うことが多々あるんです。
__今回のやり取りをしてるなかで、noskeくんのメールに『社会は、社会と社会の「隙間」に立たないと正眼を保てない』って印象的なフレーズがあったけど、隙間に立つほどズレに気づく感度が上がるのじゃないかなと。__
相当に偉そうなこと言ってしまったと若干後悔しているのですが(汗)
社会は最早ひとつではないと言うのが個人的な感想です。
とくに日本は表面的には「同質的だ」とか「閉鎖的だ」とか言われていますが、私は今の日本が、個々の小社会群がそれぞれの社会・文化システムを構築しようと必死に頑張っていると思います。
こうした小社会群は、確実に文化や価値観の多元化へと推し進めています。何よりもこの多元化を推し進めているエージェントは、資本を如何にして能動的に使うかということを知っている気がします。
そうした知識は、単一的な視点の下には育ちません。単一的な視点は一つのスポットライトしか持たないからです。エージェントは複数のスポットライトを持っている人なのではないかと思います。
「隙間」とか偉そうに言ってしまいましたが、私が言いたかったのは、この複数のスポットライトを培養するために、自分と常に対話する自分を設定することかなと思います。その自分と対話する自分は、もとはほかならぬ身体的に自分以外の他者です。
友人とか、知人とか、家族とか。
または、「理解できない!」と怒りを感じるくらい分からない人や事件などの背景を「わかろうとすること」。そうした人々との会話から自分と対話する自分が生まれてくるのかなと思います。
なので、社会と社会の隙間に気づくには、まず第一に、他者に寛容であることと興味を持つことかなと思います。それは必然的に自分への振り返りを常に伴うと思いますが、複雑な社会理解の第一歩だと思います。
そう言いながら私は偏見の塊のような者なので寛容になれず日々反省なのですが……。
__わからないこと自体が、面白いことにもなり得るしね。前にも書いたけど、私は野口(哲)のアタマの中はぜんぜん理解できんよ。
最後に、今後の予定とか、これから取り組んでいきたいテーマとかあれば教えてください。__
ひとつ目に、時間を作って、一時的にキャンベラから離れたいです。
良くも悪くもキャンベラはリズムが単調でかなり穏やかな街です。行政施設と大学が主要機関からなのでしょうが、ここでの現実がオーストラリアだとは思えません。少なくとも2005年に一時期滞在していたシドニーの郊外は、もっと様々なダイナミズムがありました。
(ダイナミズムは決して良いことから生まれるとは限りませんが)そういうところにしばらく滞在したいです。お金はありませんが……。
ふたつ目は研究に関することなのですが、次の課題として、日本人論を反転させたイメージを研究してみたいと思います。または、日本人論の中にある他者性の要素を研究していきたいと思います。
具体的には、ポピュラーアートなどの中に見え隠れする非日本的な要素(だけど結果として日本的なものとして表象される)に注目して、その要素間での力関係を研究していければと思います。
__日本人的なものをとりあえずまとめて「ZEN」と表現されちゃうような、昔のFUJIYAMA・GEISYA的なナニってありますね。その話もまたいずれ。どうもありがとうございました。
次回は、表参道で「Farmer’s Market」を運営したり、都市で農業を考える企画を展開しているユウスケくん(TOKYO DESIGN FOW)と農TALK でお送りします。__